珍しい日本の高温全身浴
お風呂の歴史
■温泉大国 日本 ■お風呂が歴史に登場 ■高貴な方のもの ■湯屋の出現 ■富国強兵政策
■銭湯の時代 ■内湯が主流に ■お風呂で使う医療機器の開発
お風呂というと,日本では大半の方が40℃前後の温度で入られることでしょう。
また,半身浴を習慣づけられている方以外は,肩までお湯につかるのが一般的です。
このようなお風呂の入り方を,「高温全身浴」といいます。
欧米では通常はシャワーですまし,ジャグジーバスでも36℃前後のあたたかくも冷たくも感じない程度の温度で入ります。
ローマ時代にアルキメデスが浮力を思いついたのが公衆浴場であったとされるのに,なぜ欧米ではお湯につかることが無くなったのでしょうか。
いろいろな説があります。

一つは,ペストが大流行したときに公衆浴場を全て壊したからという説。
また,他にも欧米ではカトリック信徒が多く,カトリックでは快楽を禁じているために,お風呂というルース・ベネディクトによる「耽溺(たんでき)の芸術」は快楽とされ,お風呂に入らなくなったという説。

本当の理由はわからないものですが,日本で温浴習慣が根付くのには訳があったのです。
それは,お風呂の歴史を知るとわかるものです。
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■温泉大国 日本

日本には火山帯が多く,全国各地で温泉が自噴します。
これは掘削技術が向上した現在だけではなく,古代より自噴していたことでしょう。
各地の温泉地に伝わる「動物がキズを癒すのを見て温泉を発見した」(岐阜県下呂温泉は鷺)という伝説があります。
あたためると痛みがやわらいだり,キズが癒されることは,古代から経験で知り得たことです。
古代日本人もおそらく自噴する温泉に入り,キズを癒したことでしょう。
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■お風呂が歴史に登場 施し風呂(ほどこしぶろ) 施浴(せよく)

お風呂が歴史に登場し始めるのは12世紀,平安時代にさかのぼります。
これは宗教(仏教)の影響により,風呂の功徳がとかれるようになったことや穢れ(けがれ)の意識があったためと考えられています。
つまり,目に見える汚れを落とすことで,一時的にでも「穢れを清める」ことができ,人々の救済につながると信じられていた背景があったからです。
貧しい人々や,病に苦しむ人々に浴を施し徳をつむ。これが施浴の考え方です。
特に,重源(じゅうげん),叡尊(えいそん),忍性(にんしょう)といった僧たちが施浴を重視したと言われ,活躍したそうです。
クスリに関わる知識や,治療方法も当時,施浴は医療行為の一貫であったとも考えられます。

しかし,当時は現在のような「高温全身浴」ではなく,蒸し風呂だったようです。
現在のように蛇口をひねれば水も,湯も出るという時代ではありません。
水は水場から一生懸命桶を担いで運び,湯は薪をくべ沸かす。
このような時代では水も貴重なものになります。
蒸し風呂であれば,使用するお水も少なくてすみます。
蒸気で垢をふやかし,手ぬぐいでこすり落としてから,あがり湯を掛けるといった方法でお風呂を行っていたようです。
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■高貴な方のもの 湯殿(ゆどの)

戦国の世になると,信玄の隠し湯や,秀吉の有馬温泉など,実力者たちのお風呂情報が聞こえます。
武田信玄は結核を患っていたともされ,特に隠し湯伝説は多いものです。
このころは,お湯につかる「湯」と,蒸し風呂の「お風呂」は言葉として区別されていたようです。
豊臣秀吉が聚楽第(じゅらくだい:秀吉晩年に天皇行幸のために作った豪華絢爛な城)にも湯殿(ゆどの:お風呂)が作られ,このお風呂は現在京都の西本願寺にあるようです。
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■湯屋が出現 お風呂が庶民のものに

江戸時代,世界史上最も特徴的な時代です。
世界史上は大航海時代を迎え,ヨーロッパ各国が世界を席巻し,アジア各国もどんどん植民地化されていくなか,鎖国政策を続けてきた日本は経済的にも大きく発展しました。
江戸や大阪などの大都市圏では庶民も徐々に財力をつけ,上水道の整備など,水や燃料の調達もそれ以前に比べれば便利になっていきました。

お風呂は心地よいものであると施浴などを通じ知っていた庶民にもお風呂への欲求がまし,湯屋と呼ばれる現在のスーパー銭湯のような施設も出現しました。
当初は,いわゆる「お風呂(「蒸し風呂」)と,「湯(今のお風呂)」が混在していたようですが,徐々に「湯」が主流となり「湯」を「お風呂」と呼ぶようになっていったようです。
当時の湯屋は薄暗く,柘榴口(ざくろくち)と呼ばれる小さな入り口から入り,男女混浴だったようです。

また,旅のつかれを癒すために旅籠(はたご)にも据風呂(すえぶろ)と呼ばれるお風呂が設備されました。
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」でも,弥次さん,喜多さんが五右衛門風呂の使い方がわからず,下足板(げすいた:釜の底に沈めて踏み込む板,五右衛門風呂は釜を直接火に掛けるため,これがないと足をやけどする)を取り,ゲタを履いて入浴するなどのエピソードがあります。
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■富国強兵政策 お風呂が定着する明治時代

開国をし,明治維新がなされ,江戸時代に終りがくると,明治政府は欧米列強に追いつけ,追いこせの「富国強兵政策」を実施します。
産業の発展などの歴史の陰で,明治政府は国民の健康維持を大きな課題として取り上げます。
なかでも,衛生・清潔は重要視され,積極的に入浴を奨励しました。
また,湯屋は銭湯とかわり,1884年には柘榴口廃止令も発布され,生活環境の衛生管理も重視されました。
この時代に,楽しみのお風呂から,健康のためのお風呂という意識が定着し始めたのかもしれません。
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銭湯の時代 明治・大正・昭和

明治時代になると,個人用のお風呂も開発され,徐々に内風呂も一般家庭に浸透し始めました。
しかし,まだまだ庶民には高嶺の花。
やはり,銭湯が主流だったようです。
銭湯といえば富士山などのペンキ絵のイメージがあります。
大正時代には大正モダンの影響から,様々なペンキ絵があったようです。
昭和40年前後を境に今日まで銭湯は減少の一途をたどっています。
たまには銭湯などに行ってみるのもいかがでしょうか。
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■内湯が主流に 昭和40年代〜

高度経済成長期を迎えた昭和30年代後半より,住宅建築では内風呂が主流となりました。
公団住宅でも内風呂つき。一人でゆっくりとお湯につかる事が主流です。
平成15年度の統計では,浴室のある住宅は,日本の総住宅戸数の95.65%。
ほとんどの住宅に浴室があります。
同じ統計結果で計算すると,47都道府県で最も浴室が普及している県は,島根県(98.72%)。
逆に普及していない都道府県は@東京都(90.99%),A大阪府(91.33%),B京都府(92.81%)
ちなみに,我が岐阜県では,普及率が97.73%でした。
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■お風呂で使う医療機器の開発

内湯の普及とともに,様々なバスグッズも開発されてまいりました。
特に,医療機器としての「浴用気ほう発生装置(お湯の中に気泡を発生させる家庭用医療機器)の開発も行われます。
高度経済成長による一般庶民の健康志向の高まりと,昭和36年の薬事法(医薬品,医療機器を規制する法)制定のタイミングが合ったからかとも考えられます。

当社の「超音波気泡浴装置 オンパー」シリーズは昭和40年(1965),それまでの芝浦工業大学 超音波研究室 橋本富寿工学博士と,岐阜大学 医学部 第二解剖教室 船岡省吾医学博士らとの共同基礎研究,技術研究から,神岡鉱山病院(現在廃院)や下呂温泉病院における治験(臨床試験)を経て新規医療用具承認を取得し,この世に初めて出現しました。

その後,様々な気泡浴装置が開発され,住宅設備としてのいわゆるジェットバスなど様々な製品が世に出ています。

当社のオンパーシリーズは,家庭用製品から,徐々に医療機関向け製品が主流となり,一般的にはあまり知られていませんが,「医療で育ったオンパー,今ご家庭に!!」を合い言葉に,医学的なノウハウをもった使用方法を重視する医療機器として,販売しています。
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